なぜ俺は、自分の物語に「音楽で戦う」設定を入れたのか
20年前、俺は音楽を諦めた。
理由はありふれてる。食えないから。続けても先が見えないから。周りはみんな就職して、俺もスーツを着た。ギターはクローゼットの奥にしまって、バンドのことは、たまに思い出す程度の「昔の話」になった。
正直に言うと、諦めた瞬間のことはよく覚えてる。最後のスタジオ練習の帰り道、機材を片付けながら「これで終わりだな」って思った。悔しいとかじゃなくて、ただ静かに納得した。大人になるってこういうことだろ、って自分に言い聞かせた。
それが、AIで戻ってきた。
Sunoに出会って、震えた日
きっかけはSunoっていうAI作曲ツールだった。最初は半信半疑で触ってた。「どうせAIの作る曲なんて」って、どこかで見下してた部分もあったと思う。
でも、自分の声を再現する機能(Persona)を使って曲を作ったとき、スピーカーから流れてきた歌声を聴いて、固まった。
「うわ、これ、俺の声だ」
20年前に出せなかった音、頭の中にずっとあったのに形にできなかったメロディが、目の前で鳴ってた。あの瞬間のことは、たぶん一生忘れない。詳しくは別の記事に書いたけど、とにかく俺はもう一度、音を出せるようになった。
ただ曲を出すだけじゃ、物足りなかった
復活したのはいい。でも、配信を始めてすぐ気づいた。
世の中には毎日とんでもない数の曲がアップされてる。SunoみたいなAIツールが普及して、誰でも曲を作れる時代になった。その中に俺の曲を1つ放り込んだところで、すぐ波に飲まれて消える。それは分かってた。
じゃあどうするか。ずっと考えてた。
技術で勝負するのは違う。プロのミュージシャンには敵わない。再生数を狙ってトレンドを追いかけるのも、なんか違う気がした。20年ぶりに取り戻した音楽を、ただの数字稼ぎに使いたくなかった。
俺がたどり着いた答えは、「物語」だった。
曲そのものじゃなくて、曲が存在する世界を作る。聴く理由を、物語で作る。それが『幻奏(げんそう)』っていう漫画だ。
幻奏という物語
主人公は、親父狩りに遭ったどこにでもいるサラリーマン。ある日、江ノ島の洞窟で不思議な力に目覚める。最初はよくある覚醒もの……に見える。
でもこの力、ただの戦闘能力じゃない。
ここから先は物語を読んでもらった方が早いから多くは語らないけど、一つだけ言える。主人公が最終的にたどり着く力——そのカギになるのが「音」なんだ。音で進化し、音で世界に立ち向かう。それが幻奏の核心になっていく。
なぜ「音楽で戦う」設定にしたのか
理由はシンプルで、俺自身が音楽で人生を取り戻したからだ。
諦めていた音楽に救われた人間が、「音楽が世界を変える物語」を描く。これって、すごく自然なことだと思った。物語の中の主人公が音で進化していく姿は、20年ぶりに音を取り戻した俺自身と、どこかで重なってる。
フィクションだけど、嘘じゃない。俺にとって音楽は、本当に何かを変える力だった。クローゼットの奥でホコリをかぶっていた夢を、もう一度引っ張り出してくれた。だから「音には力がある」っていう設定は、俺にとっては実感そのものなんだ。それを物語の形にしただけ。
だからこの音は、作中の音でもある
今、俺が配信している曲は、ただのBGMじゃない。
俺の中では、これは幻奏の世界で実際に鳴っている音なんだ。読者が聴く曲が、そのまま物語のカギに繋がっている。漫画を読んで、その世界の音を聴く。聴いた音が、また物語に意味を足していく。
漫画と音楽を別々に出すんじゃなくて、両方が一つの体験として繋がる。そういうものを作りたかった。読んだ人が「この世界の音ってどんなんだろう」って思って聴いてくれたら、それはもう物語の続きを体験してることになる。
その音は、もう聴ける
幻奏の世界で鳴っている音は、もう配信されてる。物語を読んでから聴くと、ちょっと違って聞こえるかもしれない。逆に、曲を先に聴いてから漫画を読むのもいい。
どっちから入っても、最後は同じ場所にたどり着くようにできてる。
20年前にクローゼットの奥にしまったギター。もう一度引っ張り出すまでに、ずいぶん時間がかかった。でも遅すぎることはなかったと、今は思う。
その「もう一度」が、この物語と音の両方に詰まってる。よかったら、その世界を覗いてみてほしい。